Archive for » 2011 «

7月に入ってから、電力使用量が平日の金曜日に昨年より下回り、土日の使用量が上回ったようです。これは、自動車業界が工場の稼動を、木金休みで土日稼動に変えて、電力需給の平準化に努めた成果と見られます。

また、東北地方では被災工場の復旧が土日返上で進められた結果、当初予想を上回るスピードで復旧し、生産が始まっているようです。

いずれも多くの人々の努力に頭が下がりますが、一方で政府は何をやってくれたのか、成果が見えてきません。

浜岡原発を止めたことくらいしか頭に残っていませんが、これは正しい判断なのかどうか、今も疑問の残るところです。

サマータイム制導入などは、省エネルギーに大きな効果のあるものでありながら、大きな財源も必要としないもので、まさに今なら多くの国民の理解も得られたであろう政策ですが、これも民間任せの傍観姿勢に終わりました。

日本経済が瀕死の重傷を負っているのに、民主党は今なお政局に明け暮れています。日本の将来に向けて知恵を絞るべき政治家がいないことは、悩ましい事態です。

政府をあてにせず努力を求められる日本の時代は、まだ続きそうです。

Category: 社長ブログ  Comments off

今回の原発事故は、私に誠に不思議な体験をもたらしてくれました。

物理学を専攻していた学生時代、30年余りも前に聞いて、もう忘れていた話が、原発事故をきっかけに、頭の中にまざまざと再生せれました。

社会人1年生の時に、福島第二原発4号機の機器設計に携わった時の体験も、すっかり忘れていたのに、原発事故を見た瞬間に、その時の状況が体中によみがえる事を感じました。

人間の記憶は時間と共に忘却されていきますが、それは消去されているのではなく、どこかに保存されていて、何かのきっかけで再生されるもののようです。

 

学生時代に聞いた話とは、故朝永振一郎博士の講演内容です。大学4年生だった1979年春に、博士は筑波大学物理学有志の招きで来学されました。筑波大学の前身である東京教育大学の教授であったら博士は、多くの弟子を筑波大学にお持ちでしたが、来学されたのはその時が始めてでした。

かくしゃくとした元気な姿で演壇に立たれ、「君たち科学者はこんな田舎(筑波)の象牙の塔にこもっていてはいかん、社会に出て話をして、役に立たなければいかん」と叱咤激励されました。

日本では「科学技術」という言葉をよく聞くが、「科学」とは自然を正しく理解するもの、「技術」とは人間に役立つものを作るもので、全く異なる概念である。「科学者」は「技術」が正しいものかどうか評価して、社会に伝える義務がある。

我々科学者が発見した原子力は、使い方を誤ると取り返しのつかない結果を招きかねない。正しい使い方を社会に広めるのは、君たち科学者がやらなければならないことである。もっと社会に出て、運動をしなさい。

このようなお話をされていました。

今回の原発事故はまさに、技術者の作るものに対して、科学者の評価がなされなかったことに、基本的な原因があります。想定される地震の評価や津波の高さ、これらについても、科学者の評価無しに技術者が決めた形跡があります。

日本の原発は、作るのことも評価することも、決定することもすべて、技術者によって行われてきました。これでは仲間内の出来レースになって、正しい判断が行われることは出来なくなります。

まさに、朝永振一郎博士が危惧していたとおりの出来事が起こった、このように感じられる出来事です。

 

この講演から僅か2ヵ月後、日本で二人目のノーベル物理学賞を受賞した原子力科学者は、この世を去っていきました。

合掌

Category: 社長ブログ  Comments off

NHK日曜日朝の討論番組を見ていたら、原発事故に絡んで、これからの日本の電力をどうすべきか、二人の技術者が登場して討論していました。

一方の技術者は、「原子力抜きに日本の電力を賄うことは出来ないので、今回の事故を教訓にさらに安全性に磨きをかけて、原子力発電を続けるべきだ」と話していました。

もう一方の技術者は、「自然エネルギーの活用で原子力発電を置き換えることは技術的に可能であり、政策判断の問題のみだ」と話していました。

二人の話は平行線をたどり、どちらが正しいのか結論には至りませんでした。

 

どちらの意見も正しいものだと思います。

技術者とは自分の持つ技術を信じて、それを社会に役立てることが使命ですから、自分の考え方に疑問を持たないものです。

しかし、どちらを選択すべきなのかという問題は、大自然の中でどのように人類が生きていくべきか、という科学的な視点で議論するべきものです。

今の技術で何が出来るのかと、いう視点で判断すべきものではありません。大自然の中で人間は生きているのですから、人間は自然に対してどうあるべきか、この観点から何事も判断するべきです。

 

そのためには、人類が生きていくための正しい判断は科学者が為すべきものなのに、今の日本は事あるごとに技術者に諮問することが当たり前になっています。

これは、戦後の技術者に対する産業界からの需要に応えるため、日本の大学は工学部の定員を非常に大きくして、技術者の大量養成を行ってきたためです。

自然環境に影響を与える政策判断は、基本に立ち返って、技術者(工学部出身者)ではなく、科学者(理学部出身者)に委ねることが、重要となるでしょう。

Category: 社長ブログ  Comments off

愛知中小企業家同友会の会員仲間のお母様が逝去された、との知らせをいただいて、お通夜に行きました。

若い頃はお通夜に行くと、その場のなんともいえない圧迫感、そして亡くなった方の遺骸がそこにあるという一種の不気味さを感じたものでした。

今では年をとったためか、いや恐らく何度もお通夜に行ってなれたためだと思いますが、そこで仏様に会えると言う、ややすがすがしい感じを持つようになりました。

 

以前キリスト教式のお葬式に参列したとき、その場の明るい雰囲気と賛美歌の美しさに、感動したことがありました。そして神父さまの「今日は別れの日ではありません、新たな出発の日なのです」という言葉にも感動しました。

昨夜のお通夜も、亡くなった方が91歳の大往生だったからでしょうが、いつに無く明るく感じられるお通夜でした。

Category: 社長ブログ  Comments off

今年も引続きPTA会長をお引き受けしたので、PTA総会で開会の挨拶と新年度役員を代表して挨拶をしました。

「PTAとは何なんだ」役員を引き受ける前は、私自身よく理解していなかったのですが、恥ずかしい事ながら数年間続けてようやくわかってきました。

学校に限らず会社でもどこでも、組織というものは関心を持っていないと、良くはならないものですね。逆に関心を持って参加していると、どんどん良くなっていきます。

学校も保護者が関心を持って「良くしよう」と願っていると、良くなっていく姿を目の当たりにしてきました。

良い子どもは家庭の財産、良い子どもを作る優れた学校は地域の財産、住民がこのような気持ちを持ってPTA活動に参加されれば、きっと子どもも学校も良くなっていく、これはPTA役員を10年間続けてきて、やっとわかった事実です。

Category: 社長ブログ  Comments off

これは30年も前の話ですが、日本で二人目のノーベル物理学賞を受賞された、朝永振一郎博士の演題です。

「科学と技術は正反対の概念である、技術は実用的な目的に向かって技を高めるものであるのに対して、科学は自然や人間の中から普遍の法則を見出すものである」

「技術は目的に向かって突き進んでいくものだが、科学はいつでも幅広く世界を知って調和を持って進んでいかなければいけない」

「科学者は幅広く世界を知って、一つのものしか見えない科学馬鹿になってはいけない」

「そもそも科学と技術は相容れない概念なのに、科学技術庁などという組織を作ること自体、科学と技術の違いを理解していないものだ」

このようなことを言われていたように記憶しています。

 

朝永博士は東京教育大学長を歴任されましたが、その後の筑波移転計画には反対を貫かれていました。その理由として「科学者は常に社会と一体でなければいけないのに、人里離れた田舎では本来の科学ができない」という本音を、その日の講演でつぶやかれていました。

この日の講演は、大学移転後初めて筑波大学に足を踏み入れられた記念すべき講演で、それから程なく惜しまれつつ逝去されました。

一般に科学者とは研究室に閉じこもっている姿を想像されますが、朝永博士の考える科学は、いつも人や社会と一体になっているものでした。

 

原発建設においても、大自然や人間社会と一体となって考えていれば、もう少し違ったものができていたのかもしれません。

福島原発事故を30年以上も前から予感されていたのではないか、と思わせられる言葉に、今さらながら敬服するものです。

Category: 社長ブログ  Comments off

福島原発1号機が爆発!

このニュースを見たときは、背筋が凍りつく思いでした。

原子炉格納容器が爆発したのなら、これは大事です。チェルノブイリやスリーマイルでの事故とは比較にならない放射能が拡散することは間違いありません。

その後のニュースで、爆発は建屋で発生し、格納容器は無事だったとの知らせに、一旦は胸を撫ぜ下ろしました。

圧力容器内の燃料棒は空焚きに近い状態となっているので、これが溶け落ちて容器の底に穴を開ける可能性は高くなっています。もし穴が開いたら、格納容器が水蒸気爆発を起こし、広範囲に放射性物質が拡散します。

原発放射能の危険性は、放射性物質が風に乗って広く拡散するところにあります。半径何キロまでが危険で、その外側なら安全と考えているなら、これは間違っています。風上にいれば放射能はそれほど上がりませんが、風下にいれば遠距離でも放射能が高くなります。風が強ければ数百キロの遠方まで放射能が拡散しても不思議ではありません。そして風は時間と共に向きを変えるので、今は風上に位置しても常に注意が必要です。

政府の説明は淡々としているので危険性が差し迫っているように感じられませんが、実態はかなり高いリスクを考えるべき状況にあります。地震が襲ってくるリスクを予知することは難しいですが、原発の暴走リスクは判っているこのなので、可能であればなるべく遠方に避難して、危機リスクが下がるのを待つべきです。

Category: 社長ブログ  Comments off

春日井商工会議所が主催する、上記の企業展に出展しました。

 

「これからは売れるホームページを持ちませんか?」と訴えて、ブログによるホームページ作成サービスを展示しました。

IMG_0584

ホームページサービス関連の企業は意外に多く、やっていることも大変似ていることがわかりました。お隣のブースの方も、ほとんど同じサービスを提供していました。差別化の難しいIT業界の現状を、改めて認識させられました。

 

企業プレゼンテーションとして「営業をネットで行うための効果的な方法」の講演には、10数名の方が聴講に来てくれて、ちょっとやりがいを感じました。

また、この内容が中部経済新聞の2月3日号に掲載されたことも、ちょっとした感動です。

Category: 社長ブログ  Comments off

新年の初詣に名古屋の熱田神宮に参拝しました。

出かけるときは晴れ間にちらちら雪が降っていましたが、車を進める間にだんだん雪が強くなり、名古屋高速を南進する頃には、路面に雪が積もり始めました。

熱田神宮に着くと、雪は本降りで、回りは一面の雪景色。

 

帰り道はもっと恐ろしいことになりました。

熱田のイオンに立ち寄って昼食を済ませた後、外に出るとさらに雪が激しくなり、道路は数センチの積雪になっています。通常タイヤなのでスリップしながらの走行はかなりの冷や冷やもの。そして、大曽根あたりまで来ると、回りは真っ白で何も見えない状態になりました。

回りが真っ白になると、どこを走っているのかわからなくなり、いつのまにか国道19号を外れ、竜泉寺街道を走行していました。今さら戻るのも大変な大雪なのでそのまま進んでいったことが後悔の始まり。

 

竜泉寺の手前の上り坂では、多くの車が路肩によってチェーンを装着しています。しかしチェーンを持っていないので、そのまま走るより方法がありません。そうこうしている間に、とうとう車は全く前に進まなくなり、いくらアクセルを踏んでもタイヤは空回りするだけです。

「車を乗り捨ててタクシーを待つか、車の中で一夜を過ごすか」などと、考えがまとまらない中で、突然車が前進を始めました。見ると、横でチェーンを巻いていた人が後ろに来て車を押してくれているではありませんか!自分の車だけでも大変でしょうに、吹雪の中で他人の車の後押しをしてくれる人がいることを、にわかには信じられない思いでした。

 

おかげさまで、車は上り坂を脱出することができ、無事に帰宅することができました。まったく、熱田の神様のおかげ、と思うより他に無い一日となりました。

Category: 社長ブログ  Comments off