今回の原発事故は、私に誠に不思議な体験をもたらしてくれました。

物理学を専攻していた学生時代、30年余りも前に聞いて、もう忘れていた話が、原発事故をきっかけに、頭の中にまざまざと再生せれました。

社会人1年生の時に、福島第二原発4号機の機器設計に携わった時の体験も、すっかり忘れていたのに、原発事故を見た瞬間に、その時の状況が体中によみがえる事を感じました。

人間の記憶は時間と共に忘却されていきますが、それは消去されているのではなく、どこかに保存されていて、何かのきっかけで再生されるもののようです。

 

学生時代に聞いた話とは、故朝永振一郎博士の講演内容です。大学4年生だった1979年春に、博士は筑波大学物理学有志の招きで来学されました。筑波大学の前身である東京教育大学の教授であったら博士は、多くの弟子を筑波大学にお持ちでしたが、来学されたのはその時が始めてでした。

かくしゃくとした元気な姿で演壇に立たれ、「君たち科学者はこんな田舎(筑波)の象牙の塔にこもっていてはいかん、社会に出て話をして、役に立たなければいかん」と叱咤激励されました。

日本では「科学技術」という言葉をよく聞くが、「科学」とは自然を正しく理解するもの、「技術」とは人間に役立つものを作るもので、全く異なる概念である。「科学者」は「技術」が正しいものかどうか評価して、社会に伝える義務がある。

我々科学者が発見した原子力は、使い方を誤ると取り返しのつかない結果を招きかねない。正しい使い方を社会に広めるのは、君たち科学者がやらなければならないことである。もっと社会に出て、運動をしなさい。

このようなお話をされていました。

今回の原発事故はまさに、技術者の作るものに対して、科学者の評価がなされなかったことに、基本的な原因があります。想定される地震の評価や津波の高さ、これらについても、科学者の評価無しに技術者が決めた形跡があります。

日本の原発は、作るのことも評価することも、決定することもすべて、技術者によって行われてきました。これでは仲間内の出来レースになって、正しい判断が行われることは出来なくなります。

まさに、朝永振一郎博士が危惧していたとおりの出来事が起こった、このように感じられる出来事です。

 

この講演から僅か2ヵ月後、日本で二人目のノーベル物理学賞を受賞した原子力科学者は、この世を去っていきました。

合掌

Category: 社長ブログ
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